23.キール,船首材


I. 船体損傷に関する一般的な事柄


何処が壊れ易いか(13)


9. 竜骨(Keel)

 昔は、キールは船底の中央を縦通する大きな部材で船の背骨と言われており、実際にその役割を果していたが、現在では船体中心線に位置する船底外板と言うことになっており、板厚が若干厚くなっているだけである。従って、キールの問題点、損傷に就いては船底外板の所で既に取り上げているので、ここではキールの歴史に就いてのみ取り上げることとする。なお、Keel は、ドイツ語ではKiel,露語は Kиль で英語と同じであるが、ラテン系では、仏語がQuille,西語は Quilla, 葡語は、Quilha となっており語源はラテン語と思われる。日本では、平家物語に”かわら(瓦)と記載されており、他に、敷、航と記載されているものもある。

9.1 キールの変遷

9.1.1 紀元前

 ギリシャ、フェニキャ時代の船のレリーフが多く発見されているが、皆、外形ばかりでこの時代の船にキールが採用されていたのかは分からない。ただ、Bjӧrn Landstrӧm の“The Ship” によれば、第1図の様な断面図が掲載されている。これによれば、この時代からキールが採用されていたことになるが、現代の船を頭に,想像で描いたものではないかと思われる。発見されたローマ時代の2隻の船、所謂ネミの船の断面図が同書に掲載されているが、これによるとキールが船体中央に配置されておりローマ時代の大型船にはキールが存在していたことがわかる。


第1図 ギリシャ、フェニキャの船のキール


 なお、ネミの船は、ローマの南東12マイルにあるネミ湖の湖底から1932年に発見された紀元前37〜41年に建造されたとされる2隻の船で、この時代の造船技術を知る上で貴重なものである。長さと幅は、各々、71.63 x 33.53m、73.15 x 14.33mで幅が非常に広い。何故山の中の湖にこのような大きな船があったのかは謎に包まれているが、船の形をした王族達の水上レストラン的なものではないかと思われる。第二次大戦で米軍の爆撃で保存されていた博物館と一緒に焼失されてしまったのは残念である。


第2図 ネミの船のキール


9.1.2 バイキングの船

 800〜900年にかけて活躍したバイキングの船は地中海、北米までも進出し遠洋航海の始まりを告げるものであった。現在多数のバイキングの船が発掘され保存されている。これらの船は殉葬船と呼ばれる小型船のみであるが、第3~5図に示す様にキールを備えており、外板が鎧張り(Clinker)になった特長を有している。図中の各船の寸法は次の通りである。
Nydam ship
Gokstad ship
Oseberg ship
23.15 x 3.20 x 1.22
24.08 x 5.12 x 2.07
21.49 x 5.12 x 1.58

いずれも発見された地名が付いていて、船としては沿海用のものである。


第3図 Nydam ship



第4図 Gokstad ship



第5図 Oseberg ship



第6図 Oseberg ship の船底



写真1 オスロの博物館に展示されているOseberg ship


9.1.3 中世から20世紀初頭の船

 コロンブスの”Santa Maria”にしても、バスコダガガマの”St.Gabriel” にしても、当時の船は設計図を基にして建造されたものではなく、精密な模型を作って王の許しを得てその模型に基ついて建造されたとされている。従ってキールを含めた船底がどんな構造になっていたのかは知るよしもない。しかし、イングランドの王、Henry VIIIの旗艦として1905年に建造され、1545年に操船を誤ってポーツマスの沖で沈没した“Mary Rose”が1982年に泥の中から引き上げられ、現在、ポーツマス軍港のネルソンの旗艦 Victory の隣に保存されている。泥に埋まっていなかった左舷はなくなており、引き上げられたのは右舷のみであるが、幸いにキールの部分は一部残っておりこの時代の船の構造を知ることの出来る貴重な資料になっている。それによれば、キールを含んだ船底の構造は第6図の通りである。


写真2 Mary Rose



写真3 保存工事中のMary Rose



第7図 Mary Roseの船底構造
何れもMary Rose Trust発行のGuid bookより


 図から分かるように、キールは船底最下面の本来のキールとその上に載せられたキールと同じような大きな内竜骨(Keelsonと呼ばれる)から成り立っている。この構造は1759年に起工された上記Victoryにも踏襲されており現在の船の基本となっている。
 なお、世界最大の木造船は、1857年に英国で建造されたAdriatic 4,145トンであった。


写真4 Victory
HMS Victory Souvenir Guidebookより



第8図 Victoryのキール


9.1.4 木鉄交造船

 造船用木材の枯渇と製鉄業の発展により木船は次第に木材と鉄を使った船に変って行く。保存されている典型的な木鉄交造船はロンドン郊外のグリニッチに展示されている1869年に建造されたCutty Sark である。キールと外板は木材でキールの上の肋板(Floor)は鉄が使われ、その上に鉄で組立てられた箱状の Keelson が付けられている。明らかに木船の構造を踏襲したものである。


第9図 木鉄交造船のキール


9.1.5 鉄船

 船の建造量が増えたことと、当時、木材を燃料として使った製鉄業の進歩とにより、造船用木材が払底してきたが、幸いにも鉄の値段はだんだん安くなり鉄で船を造る試みがなされた。世界で最初に建造された鉄船は、1787年に英国、Wilkinson のBradly 製鉄所で建造された21.3m,20トンの運河用の貨物船とも、1818年にグラスゴーで建造された,“Falkine” (Vulkan” とも呼ばれている)とも言われており、ある年表では1821年に世界最初の鉄船が建造されたとしたものもあって、はっきりしない。当時の船乗り達は、鉄は木より重いので鉄船は敬遠されていた。しかし、ある港が暴風に襲われて港内の多数の船が手ひどい損傷を受けたとき鉄船だけは被害が少なかった事実により鉄船が見直されるようになってきた。現在、鉄船は姿を消してしまっているが、東京商船大学に保管されている1876年に英国のネピヤー造船所で建造された明治丸は現在見ることの出来る数少ない鉄船である。幸い、構造図も若干残っているので、本船のキールの部分を第9図に示す。
 これから分かるように構造は木造船、木鉄交造船を鉄に置き換えた物である事が分かる。なお、キールは棒状の鉄材でバーキール(Bar keel)と呼ばれている。


第10図 明治丸のキール



写真5 完成当時の明治丸(山高五郎筆)


9.1.6 鋼船

 鉄よりも強度が高く均質な鋼材の製鋼法が発明されたのは、1856年のベッセマー(Bessemer)と1864年のシーメンス(Siemens)によるが、最初は価格が高く、鉄の何倍もしていたので船には使われなかった。その後、価格も安くなり、世界最初の鋼製の商船は1879年に建造された1,777トンのロトマハナ(Rotomahana)とされている。木船、鉄船、鋼船への推移は第11図の通りで、鉄船の時代は20年程で終わっている。


第11図 木造船、鉄船、鋼船の推移


 キールの構造は初期は鉄船と同様で、キールの上に肋板が取り付けられその上に縦強度を保つための箱型の内竜骨(Keelson)が艙内全長にわたって突出していた。その後、安全のために二重底が考案されている。最初の二重底は、1867年、Mc’Iintyreが考案した第10図のような構造で、過去、千年以上も採用されていた突出したキールを廃止して、単底の上に内竜骨と同じ深さの桁を並べ上面に鋼板を張り詰めたものであった。このため貨物艙の容積は桁の高さの分だけ減少し経済性は悪かった。それまでの単底の肋板の上に直接板を張り詰めればよさそうであるが肋板の高さが低いので、二重底の中に入って工事が出来なかったための止む得ない設計であると言える。


第12図 Mc’Intyreの二重底


 その後、艙内に突出している内竜骨を直接平板竜骨に断切して取り付けるようになり現在の二重底の基本が出現した。今では、長さが90m以上の船は二重底とすることが定められている。現在の様なバラストタンク又は燃料タンクとしての二重底が初めて採用された船は、有名なブルネル(Isambard Kingdom Burnel)が1859年に完成させた “Great Eastern” とされている。なお、ブルネルと当時世界最大の客船“Great Eastern”に就いては山海堂発行の”英雄時代の鉄道技師たち“に詳細な記録があるので一読を勧める。
 現在の、二重底には船底から突出したキールは完全に無くなっており、ドックに入れる時に直接、磐木の上で船体を支えるためと、船底で一番低い位置にあるために二重底タンクを空にしても吸引出来ない海水や油が残り腐食しやすいので、板厚を若干増した船体中央部の船底外板となってしまっている。構造を第13図に示す。


第13図 現在のキールと船底構造


9.1.7 纏め

 キールの変遷えを纏めると第14図の様になる。キールの発想は人体解剖によって得られた人体の骨組みが原点ではないかと思われる。木造船時代の船は、人体の腸の部分をCTで輪切りにした様子と酷似しており、背骨がキールに相当し肋骨が船の肋骨に相当する。肋骨はリブとも言われており、人体解剖の知識が何時頃になって船大工の頭に浮かんだのか分からないが興味ある一致と言えよう。くどいようであるがキールの変遷を第12図に纏めておく。


第14図 キールの変遷
※画像をクリックすると拡大します


10. 船首材

船首材は、船の最前端を固める部材で、キールの延長である。

10.1.1 船首材(Stem)の変遷

 1950年頃から船首材もキールのように船側外板の一部になってしまい現在では船首材としての特定の構造部材ではなくなってしまった。キールと類似しているので、ここでは簡単に船首材の変遷を図示するにとどめる。


第15図 船首材の変遷



写真6 方型船首材 (Bar stem)を備えた船


10.1.2 船首材の損傷

 船首材の損傷は、衝突によるものが殆どである。方型船首材の時代は衝突により破損、屈曲が起きると、修理に際して同じ寸法の材料の入手に時間が掛かったが、現在の甲板製船首材では板を曲げるだけですみ、既に取り上げた船側外板と同様に現場曲がり直し、切り替えにより簡単に修理が出来る。


写真7 1964年伊勢湾台風による康島丸とDona Natiとの衝突



写真8 船首材の損傷(1)



写真9 船首材の損傷(2)


 ただ、問題になるのは、球状船首部(Boulbous bow)の損傷である。1970年頃から、造波抵抗を減らすための有効な方法として、水線下の船首を鼻のように突き出させた球状船首が普及し始め、現在では球状船首を有していない船を捜すのが難しい程になっている。
 従来の船であれば、他船の中央部に突っ込んだ場合、写真3でも分かるように、衝突された船は水線から上の上甲板に損傷を受けるだけですみ、沈没に至ることは殆どなかった。しかし、球状船首を有する船にぶっつけられると、水線下の船側外板に大きな穴が開いてしまい沈没に繋がることになる。


第16図 衝突による損傷
衝突の相手が大型船であれ小型船であれ水線下に穴が開き沈没させられる可能性が高い


 1965年頃から衝突による全損が増えているには、球状船首を備えた船が増加したためと思われる。

10.1.3 球状船首を備えた船の損傷

 球状船首を備えた船が相手船の中央部に衝突すると、相手船を沈没させることになるが、自分も鼻先に大きな被害を受ける。通常、外板損傷部の板を切り替えまたは、新替えする場合、中央部の平らな板であれば問題はないが、前後部の曲がり外板では、取替える板を曲げるに際し、反対舷の同じ個所の板から型を取りそれに従って板曲げをする。しかし、船首材の場合は反対舷がないのでぐしゃぐしゃになった球状船首をもとと同じように復旧させることは出来ない。各船には新造時、主要構造部の図面が造船所から支給され本船に保管されているが球状船首材の図面は持っていない船が多い。球状船首を持った船が衝突で大損傷を受けた場合には、その船を建造した造船所に船首材の図面を請求するか、その船の所属する船級協会から図面を借用しておく必要がある。


写真10 球状船首の衝突による損傷




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