38.貨物艙(3)


I. 船体損傷に関する一般的な事柄


4 貨物艙(Hold) その3

4.2.4.4 D丸、 E丸の場合

 これまで述べてきたものは,中央部に機関室を有する,鋲構造から溶接構造に移る時代の船の例であるが,その後,この種の損傷は次々に発見されている。筆者の経験では,B丸,C丸の検査の後,3年間は,この種の損傷にはお目に掛からなかったが,1965年後半になって,現在の典型的な貨物船である船尾機関型の一層甲板船,D丸が,船齢7年ほどで35本の肋骨に亀裂が発見され,E丸では27本の肋骨が割れているのが判明した。亀裂は,A丸,B丸と同様Tank side bracket上端の肋骨に生じており,外板近くまで達していたものもあったが,幸い外板自体にまでは波及していなかった。放置しておけば,当然のことながら,外板が,何個所かで割れ 艙内浸水,沈没ということになったとも想像される。いずれも,亀裂の多かったのは船体中央部の貨物艙で,機関室は無傷であった。損傷が発見されたときの船齢は,A丸などと.比べ,10年未満と若くなっており,また,両船とも1963年に木材運搬船に改造されているという共通点がある。

(1) E丸の亀裂

 本船は,船尾に機関室を有し,その前に第二甲板を有する5つの貨物艙が配置され,No.2 Holdは,第二甲板下が,縦横4つに支切られ4個の深水槽兼貨物艙になっている。1957年10月,不定期船として建造されたが,6年後,木材運搬に便利なように,No.1からNo.3までの貨物 艙の第二甲板は撤去され,No.4, 5 holdの第二甲板はTop side tankに改められ,No. 2holdの深水槽も撤去され,普通の貨物艙に改造された。改造前後のプロファイルは,第1図のとおりである。


第1図 改造前(上)と改造後(下)のE 丸
136.00 x 18.30 x 11.50 −8,70 8,476.20 G/T, 主機 5,600PS


 肋骨下端の亀裂は,改造後4年目の定期検査の際発見されたもので,その時の船齢は,8年3ヵ月であった。亀裂が生じていた肋骨は,船体中央部のNo.3, No.4 holdに集中し,No. 3 holdは,右舷9本,左舷12本にA丸と同様な亀裂が生じていた。この中で,右舷3本,左舷6本は,肋骨の深さ350个糧省以上に達する大損傷であった。No.4 holdは,右舷4本,左舷2本のみで,亀裂の深さは50伉度で,No.3 ho1dよりは軽微であった。亀裂のスケッチと修理の概要を第2図に示す。船齢が若いので,亀裂部の腐蝕は少なく,肋骨の材質にも異状は認められなかった。


第2図 E丸の肋骨下部の亀裂と修理
亀裂の深い肋骨はTank side bracket上400个猟垢気 切り替え,深さ200mmのbracketを補強として増設した。 亀裂が肋骨の深さの1/2未満のものは.亀裂部をハツリ後, 溶接補修しFace plate にFlat bar を増設した。


 本船は,この他にも各部に亀裂が生じており,第二甲板撤去による補強工事は当然行われていた筈であるが,改造による何らかの影響が肋骨の損傷時期を早めたのではないかと考えられる。初めから特定の目的のために設計,建造された船と違って,改造船はどうしても設計上,工作上の無理が避けられず,改造時の船齢と改造の内容にもよるが損傷の発生する時期は改造が行われていない船と比べ早くなるように思われる。

(2) D丸の一生

本船は,1958年7月に建造された船尾機関型, 3個の貨物艙が配置された貨物船で,No.3 holdは,第3図のように32.85mの長大な貨物艙になっている。普通この種の船は艙内の柱を省略し,甲板荷重は片持梁による特設肋骨によって支持されているが、本船の場合は, 艙口四隅に太い柱があり,長さ25.55mの長い艙口の中央部にも柱が配置され,甲板荷重は柱によって支持されている。一方,6肋骨心距毎に深い特設肋骨が設けられ,船体横強度が増強されている。 新造後,5年後の1963年艙内の積付け量を増す目的で,6肋骨心距毎に設けられた深い特設肋骨を撤去し,通常の肋骨と同じ250个凌爾気力捷に改造されている。主な貨物は,フィリピン,ボルネオの木材であった。


第3図 Dのプロファイル
96.00 x 15.00 x 7.80 −6.42 , 3,417G/T, 主機2,400PS
No.1 Hold 17.905m, No.1 Hatch 11.365 x 6.5om
No.2 Hold 16.060m No.2 Hatch 1l.680 x 6,500m
No.3 Hold 32.850m No.3 Hatch 25.50 x 6,500




 1967年7月に韓国に売船され,1983年5月まで稼動,NKの船級を脱退,船齢25年でスクラップされたものである。以下,本船の肋骨損傷に的を絞ってその履歴を調べてみることとする。

1) 2年目 (1960年)
No.3 Holdの特設肋骨4本に,木材の荷役によって生じたと推定される屈曲が認められ、取外しの上、曲り直しが行われている。

2) 5年目(1963年7月)
前記のとおり,木材の積付け量を増すため,下記の特設肋骨の深さを浅くするための改造工事が行われた。No.1 Hold の Fr,112, 117, 12を深さ300个妨詐させた。No.2 Ho1dの Fr.81, 84, 89, No.3 Holdの Fr,35, 41,47, 53, 58, 64, は何れも深さを250mmに減少させた。この改造工事中,同時に木材荷役によって損傷を受けた次の肋骨が一部切替えられている。
No.1 hold Fr.105(S)
No.3 hold Fr.55(S), 61(P) ,62(P), 63(P)


第4図 D丸の改造
Web frame の深さを 250mmと浅くし補強を加えて
一般の frameと同じ深さにした


3) 7年目(1965年7月)   
フィリピンのブツワン港で荷役中,No.3 holdの左舷側の外板に亀裂が生じ,調査したところ,Fr.61〜63の肋骨3本が,中央部において割れており,Fr.61はこれが外板に達していることがわかった。亀裂の様子は第5図のとおりで,3本の肋骨は長さ約2m程切替えられた。以前に荷役中に木材が,これらの肋骨に撃突して,肋骨が曲がり,フランジに小さな亀裂が生じ,これが時間とともに進展したものとされている。


第5図 D丸の肋骨の亀裂と屈曲


4) 7年目(1965年10月)
前記のように,No.2およびNo.3 holdの合計35本の肋骨下端に亀裂が発見され,大騒ぎになった。この中で,7月に切替えされた3本のうちFr.61と63も下端に亀裂が生じていた。甚しいものは,肋骨がTank side bracket上で完全に切断し,外板に達していたので,25本については,第32図のように,肋骨下部を切り替え,75×16の補強材を増設,残りの損傷の軽微な10本は,亀裂部をハッリ取り溶接で補修し,補強材が取りつけられた。このときの亀裂の認められた肋骨の位置は第6図の一番外側の肋骨位置である。

5) 8年目(1966年8月)
No.2 holdの右舷側の2本,No.3 holdの左舷側に4本,右舷側に2本,合計8本の肋骨に前回と同様の亀裂が発見され,修理が行われている。この中で,6本は,前回修理が行われ,補強された肋骨である。第36図σ)船側より二番目は,この時に亀裂の発昆された肋骨の位置を示すものである。この翌年の7月,本船は韓国の船主に売船され,韓国籍となった。

6) 11年目(1969年10月)
売船後の貨物も相変わらず南洋材であったため,水分を含んだ木材の積付けによる艙内各部の腐触の進行もあり,第36図の船側より3番目に示すように,No.1 holdを除いたholdの肋骨は,合計57本が修理されている。詳細な記録がないので判らないが,亀裂の生じたものの他に,木材荷役により甚だしく屈曲したものも含まれていると考えられる。

7) 12年目(1970年12月)
前年の大修理が効を奏し,No.3 hold右舷側の肋骨1本が修理されたのみであった 。

8)14年目(1972年12月)
No.2およびNo.3 holdの肋骨下部, Tank side bracket取合部において,合計37本の肋骨に亀裂が発見され修理が行われている。肋骨の位置は記録が見当らない。

9)16年目(1974年1月)
この頃になると各部の衰耗が進み,船底及び船側外板の一部の海難損傷個所が修理されたほか,No.2, 3 holdのhatch coamingが薄くなり新替えされ,No.1 holdの前端隔壁も全面的に新替えされている。肋骨については,海難損傷による外板凹入部の肋骨29本を含め,73本が新替えされ,部分的に14本が切り替えられており,総計87本が修理されている。これは,全貨物艙内の肋骨182本のうちの48%に相当する。この年に修理が行われた肋骨の位置は第36図の船側より四番目のとおりである。

10)17年目(1975年1月)
衰耗は甲板に及び,No.2,3hold部の上甲板のStringer plateと,その隣の鋼甲板が長さ30mにわたり,梁も含めて,両舷とも新替えされている。肋骨については,海難により凹損した外板と共に,No. Hold左舷の肋骨9本が新替えされたほか,23本が新替えまたは切り替えられている。衰耗によるものか,亀裂によるものか,原因は不明であるが,恐らく両方と考えられ,今まであまり修理が行われなかったNo.1 holdに集中している。数年間に修理されたもので,再度修理されたものは亀裂によるものと推定される。この年はTank side bracketも30枚が新替されており,これは衰耗によるものと考えられる。この年に修理された肋骨の位置は,第36図の一番内側に示した個所である。図中,×印がついているのは,肋骨下端のTank side bracketの新替えされたものを示している。つまり,No.1 Holdでは,bracket総数52枚のうち77%に相当する40枚が新替えされている。



第6図 D丸の肋骨修理状況
x 印は1975年の Tank side bracket の新換え位置を示す





第7図 D丸の船齢順艙内肋骨修理本数


11) 脱級,スクラップまで
1974年と75年に,大規模の修理が行われ船の状態は,かなり改善されている。このため,その後,6年間は,海難損傷による外板の修理が行われている程度で,肋骨の修理は行われていない。最後の検査は1981年10月で,この後は検査の記録がなく,前記のとおり、1983年5月スクラップにするため、脱級の届が提出されている。

12) D丸の纏め
本船の艙内肋骨は,両舷合計して182本あり,船齢を横軸に取り,各船齢において,修理された肋骨の数の全体に占める率を縦軸に取ったものを第7図に示す。表中の数は,修理された肋骨の本数を表している。重大な艙内浸水もなく,25年の船齢を全うしたことは,売船後の韓国船主の保船が良く,大事に至る前に手広く修理が行われたためと言える。なお,第6図の左舷 Fr.51,95などは同一の肋骨が,三回も修理されている。これは,修理工事の不良により,肋骨の溶接部が再度切断したものと考えられる。以上をまとめると,次のことが言える。これは,D丸のみの結論であるが,他の一般貨物船にとっても他山の石となると考えられ,とにかく,肋骨については,十分な保守が必要であるということになる。
i ) 8年目ぐらいで中央部の肋骨下端に亀裂の芽が生じる。
ii) 12年目ぐらいになると亀裂は進行し,腐蝕も加わって,損傷は,船首部のNo.1 holdにも波及する。
iii) 16年目ぐらいになると,亀裂と腐触により,全騰内肋骨の70%は要修理となる。
豆) 16年目以降は,大修理の効果が現われ,肋骨の状態は良くなる。
v) 20年以上になると修理部にも再度腐食が生じ、大修理をするか、スクラヅプにするかの選択に迫られる。



4.2.4.5  その後の状況

 繰り返し述べたように,一般貨物船においても,撒積貨物船においても,肋骨下部の損傷は,腐触も含めて放置すると外板に及び艙内浸水につながる最も危険な損傷であると言える。必要なことは,早期発見と治療(修理と補強)である。これらの損傷に鑑み,NKでは1968年に肋骨の強度を増すよう構造規則を改め,その後も検討を続け,構造によってはさらに50%近く強度を増すよう措置を取り,現在は,NK規則の肋骨強度は,AB,LRなど他の船級協会の規則と比べ一番丈夫になっている。一方,検査においても1965年肋骨下部の検査の重視が通達され,1968年の通牒では,一次三種定期検査(完成後12年目)以降の定期検査時および,10年目以後の一種中間検査において(完成後10年,12年,14年,16年……) Limber boardを外し,セメントがあればこれを取り除いて肋骨下部の状態を大々的に調査することが定められた。この結果,早期発見,早期治療の甲斐があって,肋骨の損傷に端を発した艙内浸水事故は減ってきていることは事実で,A丸からE丸の例のように多数の肋骨に深い亀裂が生じたというような報告は珍しくなっている。しかし,1973年から1979年までの船体各部の損傷統計によれば,腐蝕が原困となったものも含めて肋骨の損傷は内底板,甲板,船底などの損傷と比べ依然として頻度が高く,一般貨物船では各種損傷の36%,木材運搬船では21%,撒積貨物船}でも21%と損傷のトップを占めている。
つまり,A丸で最初に肋骨の広範囲にわたる亀裂が発見されて以来,20年以上たち,強度面でも,検査の面でも種々手が打たれているにも拘らず,この種の損傷は後を断っていないことになる。原因として考えられることは,応力集中と繰返し荷重による疲労で,これに腐蝕損傷を加速させることによるものである。最近,高張力鋼の使用が増える傾向にあり,高張力鋼による肋骨の今後の成り行きが気になるところである。現在の肋骨の強度を,この上,数倍増し,貨物艙の容積を減らし,巨大な肋骨を設けたとしても,肋骨下部の構造に画期的な技法が考案されない限り,癌のように,早期発見と治療によらざるを得ないように思われるる。
考えられるデザインとしては,第8図のような構造ぐらいしかない。癌にならない人の方が多いように,A丸やB丸など殆ど同じ構造で,損傷の生じていない船の方が多いことを考えると,経済性を無視して,やみくもに肋骨下部の寸法を増すのも考えものである。



第8図 不連続部をなくした肋骨下端の構造
Tank side bracket を廃し,肋骨のwebの深さを下にいくほど幅を広くし、 それぞれの板厚も増す。ただし、現在の二重底と外板とを別々のブロック で組立て、現場で継ぐ方法では、何処かに現場接手が現われ,この位置が 問題になり,Flat marginの場合,艙内下部の有効容積が減り、現実的とは いえない。




 この項を終わるに当り,その後の損傷例を追加することとする。本船は1970年に建造された.長さ147.00, 幅22,40m, 深さ13.75, 喫水9.33m, 10,985総トンの貨物船で,機関室前部に5個の貨物艙があり,No.1 は第二甲板,他は,第三甲板まであり,機関室後部にNo.6貨物艙のあるセミアフト型の船型をしている。完成後12年目にNo.2貨物艙に浸水があり,原困は,肋骨がTank side bracket端部で割れ,それが進行して外板に到り,第9図のように,外板に最大150个竜砧が生じたためであることが分かった。外板の亀裂は,3個所で,応急修理として外部より水中溶接によって二重張りを施し,内部にセメントポックスを設け水止めが行われた。本船は貨物を積んでいたため,1ヵ月以内に揚荷の上,本修理を行うことが指定された。



第9図 No.2 Hold frame の亀裂
Cover plate, Limber board を外さないと分からない。





第10図 肋骨の亀裂発生個所
黒い太線の肋骨に亀裂が生じた。左舷 Fr.133〜135 は外板に及び 艙内浸水をもたらした。



揚荷後の調査によると,No.2 ho1d内で,第10図のように,左舷側10本,右舷側11本の肋骨が, Tank side bracket上端で切れているのが分かった。亀裂の生じた肋骨は,深さ350mmの型鋼であったが,下端から約2mまで,一段寸法の大きい400个侶森櫃鰺僂だ畋悗┐蕕譴拭K楞イ歪蟯船で木材など条件の悪い貨物は積んでおらず,艙内各部の腐食も,殆どなく,前記A〜E丸よりも遥かに良好な状態であった。結局,この原因としては,肋骨下部の繰返し応力による疲労亀裂とされたが,本船には同じ船齢の姉妹船があり,急拠,その船の同じ個所の調査が行われたが,異状は全然なかったと報告されている。したがって,疲労亀裂ということで原因を片づけるには聊か疑間が生じる。両船とも,航路,貨物に大差がないとすれば,荒天遭遇か、他物接触か,新造時の溶接条件によるものか,あるいは,現在の知識ではまだわかっていない鋼材の材質によるものか,今後とも,引続き肋骨下端の,破壊力学的,冶金学的な研究が必要とされる。





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