二度も撃沈された悲運の常陸丸 (2)


3. 水止め(填隙、コーキング,Caulking)


 話が大分脱線して鋲工事が長くなりましたが,ついでに鋲構造の船では,欠かせない水止めの工事に就いても取り上げて見ます。昔話と思って下さい。

3.1 鋲固着

 溶接継ぎ手では,二つの部材は冶金学的に固着されており,溶接が完全ならばその間に隙間はなく,水漏れなどは考えられません。しかし,鋲構造は二つ以上の部材が,物理的に固着されているだけなので,X線で写真を撮ると鋲と穴の間には微小な隙間があり,二枚の部材の問にも隙間があります。文献によれば,完全に鋲が打ってあれば密着するので継ぎ手から水は漏らないとされていますが,通常では外板,隔壁など水密を要する箇所では.コーキングと呼ばれる水止め作業を行わないと水が漏れてしまいます。


写真1 鋲からの漏れ
タンカーの外板で油が漏れている



写真2 鋲のX線写真
白いリングは隙間である


3.2 コーキング

 樽や湯舟では木と木が密着し中に水を入れると木が膨張して何をしなくても水は漏りませんが,オープン構造の木造船ではそうはいきません。日本では外板になる木材の間に,杉や槙の皮と麻で作った縄のような“槙肌”を詰めて水止めをしてをしていました。英語では”Oakum”と呼ばれていますが樫と関係はなく、ヨーロッパでは麻屑、石灰、タールを混ぜ合わせたものを隙間につめていたそうです。木造船で水止めをする職人は(Caulker)と呼ばれており,鋲構造の時代になっても鋲を打った後の水止め職人はそのままコーカーと呼ばれ,鋲打工(Riveter)とともに造船所ではなくてはならない職人でした。コーキングは板の縁部をタガネで叩き,二つの面の一部を密着させることにより水密を保つものです。従って,海水に面する箇所全てについて叩き回り,鋲は一本一本頭の周囲を叩いて鋲頭の回りを板に密着させねばなりません。バット継ぎ手のコーキングと,板の縁部の例を図にしてみました。バット継ぎ手は外板面が平滑になり,抵抗を少なくさせる継ぎ手ですが,裏にBatt Strapが要るので船殻重量は重くなります。戦艦“大和”では,船首尾部がこの継ぎ手にしてあったそうです。“常陸丸”はそれほど速力が要求されなかったのでラップ継ぎ手でした。ラップの場合のコーキングは第3図の通りです。“常陸丸”の時代は,タガネ(鏨)は大工さんがノミで溝を掘る様に金槌で叩いていたものと思われますが,明治後期になると圧搾空気のハンマーで打ようになり,溶接に替わるまで造船所では鋲を打つすさまじい音,コーキングの音で,聴力障害を起こす労働者が沢山いました。


第1図 鋲よりの漏水



第2図 バット継ぎ手(Butt joint)のコーキング



第3図 ラップ(Lap Joint)のコーキング


3.3 射水試験

 鋲を打った後,外板や隔壁に対しては,水が漏らないことを確かめるために,ホースで水を掛ける射水試験,タンクでは実際に水を張って水圧試験が行われました。射水試験は第12図のようにホースで鋲の箇所に水を掛けるだけの原始的な方法ですが,コーキングが悪いと,水が掛かって1〜2分もすると水が漏れてきて非常に有効な試験方法です。戦後溶接が採用されるようになり,船級協会によっては射水試験の要求を規則から削除してところもありますが,未だにこの試験方法は残っています。普通,検査員立会いによる正式な試験の前に一度水を掛けておくと錆が出てコーキング不良による隙間が錆で塞がれます。ある造船所では錆が出やすいように小便を缶に入れて掛けていた例もありました。
 “常陸丸”当時の規則が見当たりませんが、大正時代の規則によれば、射水試験時のホース内の水圧は毎平方インチ当たり30ポンド(2kg/㎠)とされており、この数値の根拠は分かりませんが,現在でも水圧は2kg/㎠になっています。デッキに積まれたコンテナは常時波浪をもろにかぶるので,国際規格(1S01496)では,水圧は勿論,ノズルの径,ノズルから水の当たる面迄の距離,ホースの移動速度などが細かく規定されていますが,船の場合はおっとりしたもので,せいぜい水圧の他にはノズルの径が決められている程度です。その水圧も,いちいち圧力計で測る代わりに,水を上に向かって放出して,目視で16〜18メートル位上がればそのまま射水試験に掛かっています。


第4図 射水試験


4. 明治時代の船腹

 当時最大の「常陸丸」が明治31年に完成しましたが,明治時代の日本商船の推移を調べると同じ年度でも資料により結構相違がありどれが正しいのか分りません。恐らく皆正しいと思われ,相違がある原因は次の様な前提によるものと考えられます。
  • 汽船のみか,帆船も含むか? 汽船のみの統計では隻数も顛瑤眈なくなります。
  • 何トン以上の船の統計か? 100徹幣紊両豺腓,500トン以上の統計では,隻数に大きな差があることは当然ですが,前提条件が記載されてない統計表があるので注意が必要です。
  • 登簿船か未登簿船か? 明治30年代ぐらいまでの商船は登簿船か未登簿船の二種類に分けられています。両者を加えたのが日本船腹ということになりますが,登簿船だけの統計では,当然船腹は少なくなります。登簿船とは逓信省に登簿して船舶免状を持っている船で,未登簿船は道府県にのみ登簿してある船を指します。従って,500徹幣紊療佇軈イ箸覆襪,隻数,合計トン数ともかなり少ない値になっております。
 ここでは,近世造船史の資料を基にして,明治時代の日本の船腹をグラフにしてみました,汽船の隻数は、明治20年頃から増えはじめおります。トン数も似たような傾向ですが,日清戦争と造船奨励法公布を契機に隻数に比べてトン数の増加傾向が高く,大型船が増えたことを示しています。“常陸丸”が建造された頃の汽船のトン数は20年前の明治10年頃の10倍近く増加していますが,殆どは購入船の増加によるものです。この様子が分るように,帆船を除いた汽船のみに就いて各年度の国内建造船と購入船のグラフを日本興業銀行50年史の資料をもとにしてグラフにしました。トン数で見ると日清,日露戦争時にかなりの大型船が外国から購入されたことが分ります。明治31年の国内建造船の平均トン数は258トンであるのに対し,購入船は約4,411トンでした。明治41年度は国内建造船の平均トン数が884トン,購入船は913トンで伯仲していますがその後,国内建造が船腹の需要に追いつかず,明治45年は前者が253トンに対し購入船は2,043トンと逆戻りしています。6,172トンの“常陸丸”が建造されたとは言え,日本では大型船は建造出来ないと言う考えが大方の世論でした。明治29年になり,造船,航海奨励法が制定されましたが,効果を表したのは大正になってからでした。


第5図 明治の日本商船(隻数)
日本近代造船史の方眼紙の線グラフより作成



第6図 明治の日本商船(トン数)
日本近代造船史の方眼紙の線グラフより作成



第7図 国内建造船と購入船(隻数)
汽船のみで帆船は除く
日本興業銀行50年史より作成



第8図 国内建造船と購入船(トン数)
汽船のみで帆船は除く
日本興業銀行50年史より作成


5. 造船奨励法

 明治27年度の統計では,日本に出入港する商船のトン数は外国船が88%を占め日本船は12%,また,その年の運賃総額2,152万円のうち2,027万円が外国船に支払われていました。これでは日本が世界に伍しては行けないと言うことで,造船,海運に補助金を出し発展を促す目的で明治29年3月23日、法律第15号及16号で造船、航海奨励法が公布されました。政府の財政状態は必ずしも楽ではありませんでしたが,海運.造船政策が優先されたことで,戦後,日本の造船が世界一になった根源はこの法令の他,昭和初期のScrap and Bui1tの思想による政府の各種助成措置があったことを忘れてはなりません。

造船奨励法の概要は次の通りです。
(1)日本で船舶を建造するものに対して造船奨励金を出す。
(2)対象は鉄又は鋼製の700徹幣紊料イ,造船規定にしたがって建造される船とする。
(3)奨励金は次の通りとする。
  • 700〜1,000トンの船,総トン数 1屠茲12円
  • 1,000徹幣紊料,総トン数 1トン毎に20円
  • 主機の製造 1馬力当たり5円
(4)特に定めた以外は,外国製品の使用を認めない。
(5)〜(7)罰則
(8)適用は明治29年11月1日より15年間

 奨励金の額は,当時輸入に頼っていた鋼材の運賃,輸入税,保険料を補填する額として設定されたものだそうです。そうして,“常陸丸”はこの造船奨励法の適用を受けた第二船とされており,6,172トン,主機出力が7,694馬力なので,補助金総額は161,910円になります。沈没により政府に対する損害保証額を決めた日本郵船の重役会の資料では正確な船価が817,760円なので,船価の20%の補助を受けたことになります。明治30年から大正7年までの奨励法を受けて建造された船と補助金の額を付録3として取り上げました。総合計額は23,009,499円に達し,その中で,約61%が三菱造船に支給されていて,大手に対す助成措置だとの悪口もあった程でした。


第9図 造船奨励注適用船と補助金
奨励金は総額23,009,499円が支給されているが、その中で、 61%は三菱、28%が川崎造船所、残りは大型船建造に出遅れた大阪鉄工所(8.9%)、石川島(0.7%)、浦賀(0.8%)、小野鉄工所(0.3%)であった。


 造船奨励法と車の両輪となる航海奨励法は,船主に対する助成金ですがここでは省略し,“常陸丸”の悲劇に就いては(3)で取り上げます。

参考文献
日本郵船衂看史, 七っの海で一世紀(日本郵船),創業百年の長崎造船所,
川崎重工業蠎匯, 新造船写真集(三菱横浜), 日本近世造船史 ,明治工業史(造船篇),
日の丸船隊史話(山高五郎), 日本の船(山田適夫), 船の常識(山口増人),
船舶百年史(上野喜一郎), 造船協会雑纂(大正7年7月)、
海運造船業(日本海運経営史6巻)日本経済新聞社), 海運1999年7月号
Practical Shipbuilding (A. C. Holms)
Lloyd's Ru1es 1911, L1oyd's Register in Japan(1934),


付録
日本船名録(明治31年度版)、Lloyd's Register 1900 Edition




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