英語が通じない国での単身赴任生活
ポルトガルの場合

 単身赴任と言う言葉が使われるようになり随分たちますが、単身赴任者は増える一方で減るきざしは一向にありません。生理休暇のため家路につくチョンガー族のため、金曜日夕方の列車はかなり混雑していています。昔は産業規模が小さく,新学期になって教壇の上で'心細そうに先牛から紹介される転校生は,役人とか軍人の子供ぐらいたったように記憶していますが,今では生産,流通,金融,サービス業など、どれを見ても各地に支杜,支店があり,関連会社も含めると,勤め人の転任の可能は役人に優るとも劣らぬ状態になっております。
 そうして,昔は超々エリートに限られていた外国への赴任も日常茶飯となり,赤紙1枚で宇品港から南海の○○島に派遣され,軍需物資も食料の補給もないまま,泥水を飲み草を噛んだ将兵のことを思えば,今は生命の危険はなく,いっかは家族のもとに帰れるとあきらめ成田を出発することになりますが,中には治安の悪い任地で思わぬテロなどに巻き込まれる人も時折り報じられています。幸か不半かといいたいとろですが、不幸にも国内、国外でのチョンガー生活を10年以上経験させられたので内外での単身赴任いついて、思いつくままに筆を進めてみます。何か参考になれは幸いです。なおご存知のように“チョンカー”と言う言葉は朝鮮語で「」と書き漢字では「総角」、つまり,成年前の男子の髪の結い方だそうで、結婚をしていない男性を意昧するのだそうです。戦前の日本語では「坊主頭」とか「丸刈」ということになるのでしようか。  


1.昔と今の転任

 現在,単身赴任を強いられる最大の理由は子弟の教育と考えられ,つまるところ受験戦争のもたらす弊害の一つということができる.昔は,学校差はそれ程ひどくはなく,小学校であれば何処に転校しても教科書は国定であったため同じだった。もっとも、海を渡って朝鮮や台湾の小学校に転校させられると,教科書は各総督府の発行した本土と違うものが使用されており,子供心に少し面くらったものである。関西から東北の小学校に転校させられると,授業中は同じ教科書で先生も一応標準語?で教えてくれるので先ず問題なかった。ただ教室から離れると、友連どうしの今まで聞いたことのなかった方言が全く分からず,慣れるまで一人で半年近く辛抱しなければならなかった。また,当時の外地の学校への転校の場合では,教科書が違うといっても内地の国定教科書と大差はなく,逆に台湾でも朝鮮でも, 日本語は標準語が使われ方言はなかった。従って勉強については,内外を問わず転校による子供の負担はそれ程大きくはなかったような気が'する。現在では学校差が大きく教科書内容も違うため転校は.進学をひかえた子供にとって大きな負担になる。親が甘くなったのか,親の権威が失墜したのか分からないが,結局親が犠牲になるか,子供か犠牲になるかの.二者択一を迫られ単身赴任という形になり,最終的には親も子も両方か犠牲になるという結果になる。


2.外地での単身生活

 外国では,言葉、風俗、習慣が異なるのは勿論で,これに慣れるのが一苦労、例えば、非英語国では,掛かってくる電話のうち90%以上は現地の言葉、残りは英語または国際電話て“オイガ,オイガ”とスベイン語あるいはフランス語等、日本語で掛かってくることは殆どない。日本大使館からから掛かってくるときでも,ベルが鳴り受話器を取ると,現地の言葉で大使館に雇われている現地人秘書あたりが“もしもし,鈴木さんですか,こちらは日本大使館です。シニョール内田さんからです。暫くお待ち下さい。”といった調子でまくしたてられ,やおら、内田さんの日本語が聞こえてくるといった調子である。はじめは何も分からないので電話を切ってしまうと、重要な連絡を聞き漏らしたりして後で後悔することになる。非英語国に赴任した場合は臆せずに受話器を取り上げ上げられるようになるには三年はかかると覚悟しなけれならない。
 風俗、習慣の違いも、いちいち書いていたらきりがないので止めておこう。日本に残した家族との連絡は専ら手紙になるか,手紙をやりとりして,ある問題の結論を得るまでには,ヨーロッパやアメリカの場合,往復には早くとも二週間,地域によっては一ヶ月もかかってしまう。たまに国際電話を掛けて日本を呼び出しても、時差があるので今日本は何時なのかを確めてからダイヤルをせねばならない。先進国の場合はダイヤル直通で日本と通話か出来るが,そうでない所ではその土地の国際電話局を呼出し,日本を呼び出してもらうことになる。英語の判るオペレーターかいなかったりすると,このやりとりは現地語となリ,例えばスペインの片田舎から日本に電話を繋いでもらうとすれば,日本はハポンになり,東京03はセロ,トレスと番号をスペイン語で伝えなければならない。やっと繋がって懐しい日本の電話の呼出音が聞こえるとほっとするものである。国によって他国の呼び方が違うのも困ったもので,“スエシヤから電話だよ" といわれて,スイスかと思っていると,スウェーデンだったり,エタジュニとは何処の国かと思ったらアメリカだったりで面くらうことが.多い。
 脱線はこのくらいにして,単身生活にもどるが,結局,単身生活とは衣食住を全部一人でやることに他ならない。そこで,衣,食,住に分けて,外地での単身生活の様子を取り上げてみることにする。もっとも外地といっても,東南アジア,中東、ヨーロッバ,アメリカなど総て条件が違うので,以下はヨーロッパの片田舎の例であることをことわっておく。


2.1 衣

 外地では,下着にしても背広にしても,日本人とはサイズが合わないことか多く,値段も日本よりは高いのか普通である。従って、赴任期問に応じて着る物は日本から持っていくことになる。日本に居る時は,春先になると女房が合着を出してくれ,夏になると夏服を揃えてくれるが,一人で居ると合着と冬服が判らず真冬に合着を着て寒がるようなこともある。着る物にあまり関心のない人は,冬服,夏服,合着の区別が判るよう,裏にでも印をつけておくとよい。また、小学校の高学年の生徒が買わされる簡単な裁縫セットも準備しておけば役に立つこと確実である。慣れてくると,暇なときに洋服屋をひやかし,素敵な英国生地を見つけ,仕立ててもらうこともできるようになる。人件費の安い国では三回も四回も仮縫いをしてぴったりの背広を仕立ててもらったり,ロンドンに出張したときなどは,リーゼントのアクアスキュータムやバーバリーなどに寄って本場のス一ツを日本の値段の半分ぐらいで買うこともできる。もっともこの場合は,袖を縮めたり,ズボンの裾を短くしてもらう必要があり,その場でという訳にはいかない。
 次は,洗濯ということになる。背広,シーツなどはクリーニング屋へ出すことになるが,日本と違ってコインランドリーも近くにないとなると、洗濯機は是非必要になる。日本で買って持って行っても電圧が違うので使えず。現地で買うと取扱説明書がドイツ語で書いてあったり,フランス語で書いてあったりで,読むのに苦労する。週末の休日が洗濯の日ということになる。
 いっそのことパンツから何から皆,洗濯屋に出せば一番楽であるが,勤めからの帰りが遅いと洗濯屋は既に閉っており,日本と違って土曜の午後や日曜は殆どの店が休みである。いきおい,肌着などは白分で洗濯せざるを得なくなる。何れにしても洗濯機があれば洗濯はあまり苦にならす,アイロン掛けも,つれずれの気晴らしと考えばよい。


2.2 食

 一人で生活していると,休みか続く日など特に,人間はどうどうして一日に三回食事をしなければならないのかと嫌になることがある。仕事か終り誰もいない家に帰って先ず御飯を炊くのは簡単で,味噌汁も日本から持って来た味噌とダシで何とか出来る。おかずは何にしようかと冷蔵庫を開くと肉の塊,野菜などが人っており,さて,何を作ろうかと考えること30分,もともと料理などしたことがないので,いくら考えてもアイデアが浮かぶ筈がない。母親や女房が台所でやっていたことを思い出そうとしても,女共の料理を真剣に見ていたことがないのでどうしようもない。出来るのはハムェッグ,焼魚,野菜と肉の油妙めぐらいしかない。そのまま直ぐおかずになるになる牛肉の大和煮、鯖の味噌煮などといった便利な缶詰も売っていないし,既製のおかずなども勿論ない。おかずになる罐詰めを沢山持ってくればよかったと悔んでも後の祭りだ。かくして,大分前に買っておいた鰯を焼くことにする。


Wm. Colins Sons社で出版している各国の料理のメニュー解説書。
この他にフランス料理,イタリー料理の本もある。英語で書いてあるので
英語の料理名を知らない人は英和辞典も必要になる

ラテン系の国では焼魚のトラブルはないが、イギリスなどでは、アパートで魚などを焼いていると臭と煙で近所から苦情が出るので、簡単に焼き魚という訳にもいかず困たものだ。バヶツにパンをちぎった屑にビールを混ぜて作った糠味噌の代用品の中からキャベツを取出し漬物とし、陀しい夕餉が始まる。大恨おろしが欲しいが,大根もヨーロッパでは特別な所に行かないとないので蕪おろしとする。こんなことを続けていると自炊がつくずく厭になり外食といったことになる。それでは外食となるとどうなるのだろうか?


2.2.1 外食

 後で考えると,ただレストランに入るだけのことがどうしてあんなに不安で気が重かったのかと不思議でならない。 


食べたいが入り難い

 既に日は暮れ,店もシャッターを降し、明かりが点いているのは所々にあるレストランだけ,さっきから何軒前を通り過ぎたことだろう。腹の虫がグウグウいいだす。レストランにも人れないような弱虫ではこれから先、日干しになってしまう。今度こそあのレストランで晩飯にしようと決心して、重い足をひきずって店の前まで来る。ガラス越しに見る店内は薄暗くテーブルにはそれぞれ蝋燭が点っており、派手な服装をした男達、家族連れ、アベツクなどが何かを飲み食いして楽しそうに舌鼓を打ちながら歓談しているのが見える。入り口には、日本の様な見本もなく、制服を着たドアボーイが胡散くさそうな顔でこちらをチラチラ眺める。“これは高級ストランに違いない。値段もきっと高かろう”・この店も素通り。町外れになると夜道はいよいよ薄暗くなる。気がつくと前から大きい体をした黒人が数人こちらに来る。擦れ違うまで襲われはしまいかと足が地に着かない。
 四つ角に出て左を見ると,立っているではないか、白い髪を生やした大佐殿が、日本でもお馴染のケンタッキーフライドチキンの店だった。カウンターの上に色々な料埋の写真が貼ってあり,値段も書いてある。今までの不安が嘘のように消え去り,ディナー向けのパックとアイスクリームを買い,やっと軽い足どりになり,ホテルに向う。腹はペコペコだ。序でにおまけまで白状すると,ホテルでアイスクリームを食べる段になって,スプーンを貰ってくるのを忘れたことに気かついた。鉛筆も食べ残したチキンの骨も,スプーンの役はしない,指では冷たくて.駄目,やっと靴ベラがボケットにあるのに気かつき事なきを得たものであった。普通の日本人が初めて外国に行き,一人でレストランに入るにはかなりの度胸か要る。最初は現地の知人に連れていってもらうか,セルフサービ又の店を捜すとよい。
結局、レストランにしても床屋にしても、中に入ったからといって殺される訳ではないので、腹を決めて日本と同じ積もりで入っていけば何とかなるものである。もっとも、格式の高い店では、席が空いているからといって勝手に席につくと叱られるので案内されるまで入り口で待たねばならないし、また、クロークにコートや鞄を預け控室に案内され、そこで食前酒を楽しんでいると、やおら給仕がメニューを持って注文を聞きにくる。やっと料理の準備が出来た頃、給仕が席に案内してくれる仕組みになっている店もある。


リスボンにある1784年創立のヨ−ロッパでも
有数な豪華レストラン “TAVARES”

 さて,外食のテーマに戻るとしよう、何といっても店の前に料理の見本がないのが不便である。もっともブラッセルを歩いたとき,日本のような見本(プラスチック製ではない本物)の置いてある店を見掛け,うれしくなってすぐに飛込んだことかあった。こんなわけで,給仕が出すメニューが判らないと何を食わされるか判らない。英語圏の場合は前菜,スーフ,魚,肉など幾つかは判るものかあるが、非英語国ではチンプンカンプンで全くお手上げになる。ポルトガルのレストランで独り淋しく食事をしていたとき,隣の席に来たイギリス人にポルトガル語のメニュー内容の説明を求められたことかあった。彼のいうのには,コンチネント(大陸)に来ると,何時もこのメニューに悩まされるとのこと,我々日本人も同様である。日本に来ている外人さんにとって,ローマ字ならぬ漢字、平仮名,片仮名のメニューにはさぞ悩まされることであろう。そういえば,浅草でウェイトレスを店の外に引っ張り出し店の前の見本を指して注文している外人さんを見かけたことがある。日本では高級レストランになると,メニューはフランス語で書かれているが,それにしても日本に来る外入さんで,フランス語が判る入は何割ぐらいなのだろうか?
 兎に角,非英語国に単身赴任して外食をする場合,レストランに行き,今日はこれが食べたいと思う料理を注文し,塩味を薄目にしてくれとか,オリーブ油を控え目にしてくれなどと頼み,白分がオーダーした通りの料理とそれに合うワインを楽しめるようになるまでには,少なくとも一年はかかると覚悟せねばならない。もっともメニューには,書く順序があり,普通,最初に区分されているのが前菜,次がスープ,3番目が魚料理,4番目が肉料理,最後がデザートとなっており,店によってはスープの後にサラダが纏められており,魚料の前に海老、蟹貝類の項目があり、チーズだけがデザートの前の欄に書いてあるものもある。
 そうして,欄外に今日のお薦め料理が出ている。急いで食事をしなければならないときは、お薦めランチ“Sugerencias de1 Jefe" とか“Sugestōes do Dia" などと書いてある一群の中のものを注文して,飲物としてはビール(ビールと注文しても通じない国がなんと多いことか)を注文すれば早い食事ができる。

Sugerencias del Jefe
Plato de Ahumados 350
Paté de la Casa 300
Angulas a la Bilbaina 400
Parrillada de Pescados y Mriscos 500
Almejas al Vino Blanco 325
Truchas a la Navarra 300
Filetes de Lenguado a la Naranja 375
Callos a la Madrileña 250
Hamburguesas de Ternera Lionesa 300
Domingo, 21 de Marzo, 1976

 メニューの順序が判れば,スープの後でまた別のスープが出て来るようなことはない。フルコースの場合は別として,普通は前菜とス一プを同時に注文する人は少ないようで,前菜の時はスープは注文せず,ス一プの時は前菜を注文しない人が多いようである。なおイタリアでは,スパゲッティは主食ではなく前菜であるので,スバゲッティだけを食べて店を出ることは,寿司屋に行ってガリだけを食べて店を出るのと同じようなことなので注意したい。慣れてくると行きつけの店も出来,日本のように,「今日は平目のいいのが入っているよ」などと教えてくれるし,厚いワインリストの中から料理に合ったワインも選んでくれるので,外食も楽しくなる。


ラスパルマスの野外レストラン
”このメルルーサは旨いよ!”

 何処でも同じであるが,外食をする場合,安くて旨い店は少なく,現地の人に聞いて出掛けてみても、日本人の昧覚とは違うので必ずしも旨くない。

 ロンドンのシンプソンのローストビーフも高い割にはそれ程旨いとは思わなかった。いい食事をしようと思えば,やはり高級レストランということになるが、値段は高くなり,チップもコインのおっりだけという訳にはいかなくなる。それに日本でも同様であるが,毎日レストランで独り淋しく食事をするのは侘しいもので、また,ラテン系の国では油っこい料埋か多いので外食が続くとどうしても日本のあっさりした食事が恋しくなり,日本レストランのない町では自炊をせざるを得ないようになる。国境を越えた隣の国に出張して,三週間ホテル暮しをしたことかある。小さな町なので中華料理店もなく,毎日,油っこいものを食べていたが仕事か終って夜のフライトで帰国(日本にではない)した。遅いので夕食は空港のレストランで済ませればいいのに,早々にアパートに帰り,9時頃お米をとぎ日本から持って来た残り少ないインスタント味噌汁と梅干だけの晩飯か何と美昧かったことか。


2.2.2 自炊

 とにかく,経済的である。一ケ月自炊を続けると,外食の時と違って財布の中味は殆ど減らない。また,レストランで高い料理を注文して,味が口に合わなくてがっかりすることかあるが,自炊の場合は,自分で旨い料理かできる訳はないので,不味いからといってがっかりすることもない。誰にも気兼ねせず応接間のテーブルを前にあぐらをかき,箸で食べる食事は悪くない。ただ自炊で困るのは,料理を知らないことの他に買物の苦労があることである。これには二つあり,一つは、お店か閉るのが早いことと,国によって違うが土曜の午後,日曜は終日店が閉っていることである。仕事の都合で帰りが遅い日か統き土曜も出勤させられると,全然食料の仕入ができない。雨降りの日曜など,外に出て食事をするのも億劫なので,家でのんびりしようと思って,さて食事の支度で台所に行き,冷蔵庫を開けると肉も野菜もない。仕方なく船から分けてもらった期限切れの救難食品,(今はやりのカロリ一メイトのようなもの)を噛って誤魔化したこともあった。
 第二に困ることは,お店に買物に行っても,品物の名前か判らないことである。砂糖を買うつもリでスーパーに行き,棚を捜してそれらしい紙袋を見つけても,塩なのか洗剤なのか小麦粉なのか,指で触っても判らない。何しろ袋にはSugarなど英語の文字は一つもないのである。牛の絵のラベルがついたの罐詰があったので多分牛肉の罐詰だと思って家に帰って開けてみると練乳だったこともあった。辞書を持って買物に行けばいいが,混雑したマーケットでは立止って辞書をひろげる気にもならない。


青空マーケット
肉屋、魚屋は屋内にある

肉屋も困った店の一つだった。自分の身体の一部を切って売ればスマートになると思われるようなテブテブの親爺の後には,大きな肉の塊が何個かぶら下っており,隣には大きな冷蔵庫,前には厚い俎板と包丁や鋸、挽肉の道具があり,店先には見たこともないようなソーセージらしきものが雑然と置いてある.「豚のモモの赤身を500グラム程スライスしてくれ」と親爺に言うことが出来れば、親爺はおもむろにフックから肉の塊を外し切って訳だが、英語でもこんな言葉は習ったことがない。ここでも、前に書いたレストランのように,肉が買いたいけれどもその店は素通りすることになる。幸いなことに市場に行くと肉屋は肉屋で何軒か並んでいるので,隣の店を覗くとガラスのウインドーの中に手毬ぐらいの塊か入っているのに気がついた。あとは,親爺にウインクしてその肉塊を指さすだけ,向うはどう切るのか? 筋は落すのか? 欲しいのか ? と聞いているらしいが、チンブンカンプン,黙してただ指さすだけしかない。親爺も諦めて,それを秤に乗せ,目方を量リ渡してくれる。今度はどうも値段をいっているらしいがこれも判らない。紙に字を書くジェスチャーをすると紙きれに値段を書いてくれて売買完了。家に帰って,肉塊の筋を包丁で落すのがこんなに難しいものだということを思い知らされたものだった。


マーケット内の肉屋
小さな塊はラード、脂身、レバーなど

 きりかないので買い物はこのぐらいにして,日本が少ない任地に行く場合、日本から持って行くものを思いつくままに列挙してみよ.う。先ず味噌,醤油,インスタントラーメン,インスタントの御飯,海苔,お茶,海苔の佃煮とか福神漬けなど朝食のおかず,そのままでおかずになる罐詰類,だし、お酢(外地のお酢は日本と違う味かする),食用油 (大豆油や、胡麻油は殆ど見かけない)豆腐の素,梅干,練わさび,乾燥大根おろし等々。最近は外地勤務者用に保存のきく乾燥食品も大きなデパートで売っているので,見ておくと良い。
 なお,最近、欧米ではマクロビオティック・フードか流行しており、これを扱っている店に行けば,高価ではあるか味噌、醤油,海苔、大豆油などが入手できることかある。また,銀杏、蕨、春菊らしきもの,海岸近くならば海苔,あわびなどを白分で調達することができる。ただし,銀杏は人に見られないようにして拾わないと,日本人があんな臭いものを拾っていると馬鹿にされる。料理の本を持って行くのも良いが,材料が手に入らないこと,5人前ぐらいの料理が取り上げられており,一人分では調昧料など皆5分の1にしても、上手くできないこと、料理の専門用語が出てきて判らないことなどで、あまり役に立たなかった。


2.3 住

 単身赴任者は,昼間は留守になるので泥棒に目をつけられ易く、日本人は金を持っているとされているので一戸建ちよりもアパートの方か安全である。ただし,たまに日本から家族を呼ぶようなことを考え,家族が来ても泊れる程度の間取りがほしい。もし、将来家族を呼び寄せる計画があれば,子供の学校!こ近い所を選びたい。異国で子供を遠い学校に通わせることは,非常に心配なことである。できれば家具付きの家があれば,家賃は高くても,ベッド,シーツ,枕,カバー類,洗濯機,冷蔵庫,包丁,俎板,皿,茶碗,ワイングラス,ウィスキーグラスなどをはじめ,子供のおもちゃまである家かあり,日本から持って行く道具が少なくて済む。家具なしの場合は,電気器機は電圧とコンセントの差込か違うので,現地で買っても帰国の時の処分に厄介で日本から持って行く場合は,使用する電気器機の総容量に近い容量の変圧器も持って行く必要かある。


ヨーロッパ形のプラグ

ヨーロッパの各国、ソ連、インド、アルゼンチン、ブラジルなどではこの形のコンセント(英語ではPlug)が使われており、電圧は220Vの所が多い。
日本のコンセントはカナダ、米国、メキシコ、台湾、韓国、中国など、ただし電圧は120Vがほとんど。中国、フィリピン、タイなどは220V

住の問題で面くらうとすれば,風呂とトイレが同じ部屋にあることと,洋式の風呂に慣れるまで少し時間がかかることぐらいで,食と比べれば問題は少ない。


バスルーム

電気代,ガス代,水道代など銀行払込になっていない国では,何処にどう払い込めばよいか近所の人に教えて貰わねばならず,ポストに投げ込まれた請求書(辞書を引いて,何の請求書かを判断せねばならない)を人に見せて,ジェスチャーで何処に払込めばよいか教えてもらうことになる。なにしろ引越した直後は,現地の言葉はチンプンカンプンなのである。払込が遅れると水道などは止められてしまい,新米の単身赴任者にとって,水道局に行き再給水の手続をしてもらうことは至難の技である。


3.まとめ

 予定の誌面が超過してしまったので,簡単に結論を書いてみる。先ず,家族の崩壊につながる可能件を持つ単身赴任はしないに越したことはない。当事者にしてみれば,言葉をマスターするまでは,テレビを見ても映画館に行っても何も判らない。愚痴をこぼす相乎も居ない。日本語の雑誌,本も手に人らない。親もなく,妻なく,子なくと嘆いた六無斎よりも心細い。仕事が猛烈に忙しければ,仕事にまぎれて淋しさなど吹飛んでしまうが,そうでない場合は,何等かの趣昧を持つこと,趣昧の道具を日本から持って行くことが肝要である。さもないと,ノイローゼになることは確実である。
 国内の単身赴任について言えば,時差もなく,例えば身内に不辛かあった場合でも,お通夜には間に合わないとしても告別式には出席できる。病気になっても医擦は完備している。言葉,風俗,習慣に悩まされることもないので,非英語国、開発途上国での単身赴任と比べれば,実にチョロイものである。

 上記は、1984年4月発行の“コンテナリゼ−ション”に掲載されたものである。当時ポルトガルは赤ん坊を含めても日本人は100名もおらず、勿論、日本食品は手に入らなかった。現在では、日本レストランもあり日本からの観光客も出入りし、EU に加盟し,万博が開かれたりして随分近代化していると聞いている
2003年

参考:ロンドンのSimpson’s(1978年)、マドリのプラド美術館の近くにあるHotel Wellingtonのレストランのメニュー(1976年、値段はペセタ)


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